
めに娘たちを小学校に送ってから、パートをして頑張っています。免許を取ってから、無事故、無違反で運転していますが、十分に気をつけるよう何度も話合っています。
思えば過去が、遠い思い出となりつつありますが、これからも、しっかりと生活していけるように願わずにはいられません。「お母さんは厳しい」と恵美子によく言われました。私は、この娘を健聴者と同じように生活できるようにするには、甘やかすだけでは駄目だと、私なりの信念から涙をのんで厳しく躾てまいりました。
多くのお友だちとの出会いも大切であり、社会に出てから一人立ちできるようにとの願いからでもありました。世間の人の冷笑や、蔭口など気にも止めず努めて明るく接し、何処の場所にも連れて行き、社会にも出してやりました。長い寮生活を経験したので、整理、整頓は自然と身につき、きれい好きで家中の掃除は見事なものです。
昨年の晩秋、九十歳の生涯を閉じた義母を見舞いに来たとき、「早く全快するようにと神社に祈願してきた」と話す恵美子に、寝たきりの義母が涙を流しました。気丈な義母の性格を知っている私は、思わずもらい泣きしました。孫たちが、折り鶴や千代紙で見舞ってくれました。この義母のお陰で恵美子の今日があることを改めて痛感いたしました。
私は小学校時代から教師になる夢を持ち続けましたが、旧制女学枝のとき父の死で果たされませんでした。そして現在の主人と結婚して四十五年。農家の主婦として野菜を作り、畑仕事に精を出してきました。いまは、山形の孫たちに新鮮な野菜を届け、美味しい庄内米を食べさせるために働いています。
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